渦巻く知識

随筆―手先の不器用さ―

「真っ直ぐな線やキチンとした丸が書けない」

 小学一年生の時分、唯一の記憶が担任教師から母へ向けられたこの報告であった。
それは今もなお私を覆う呪縛だ。
 折り紙をきれいに折ることができない。そもそも真っ直ぐという状態を己が手で如何に成すのかがまるで分らない
「普通に端と端を合わせる」
と、よく言われた。普通にすると別々のものが一致するはずがないのだが。

 真っ直ぐな線も丸い円も書けない私は、文字が下手である。頑張って丁寧に書いた心算でも「汚い文字」と揶揄され続けてきた。ならば丁寧に書こうとする必要などないではないか。その思考がさらなる堕落を私にもたらす。

 紙を揃えて曲げることも能わず、ただ普通に合わせれば良いと他人は言う。洗濯物を畳むことも正しく行えない。妻に、母に、「キチンと畳め」と言われる。私にはそれは叶わない。
 書店で仕事を勤めていた頃、品物のラッピングの注文が入る。私は自身が駆けつけるべきと知り乍ら、聞こえぬふりをしたり「問い合わせ対応中」と嘘を吐いた。同僚諸士はそれに気づけども、私を責めることをしなかった。
 そのうちに私は「仕事の出来ぬ凡愚」との罵りを自らに科した。そうしてせめて他のことでこの穴を埋め合わせようと必死にもがいた。そうし乍ら、ラッピングがせめて人並みに出来るようにと家で業務時間外に練習を繰り返した。結果として私はラッピングをすることができない凡愚であり乍ら、他の仕事も人並程度の力量しかない自分に半ば呆れつつ、半ば憤りつつ悶々とした日々を送った。
 「俺のような半端ものが仕事を続けていいものか」と同僚に問おうとは何度も試みたが、その度胸をも私は持たなかった。

 鬱々たる日々が続く中で、私はあるブログに出会った。それは発達障害を持ち乍らも生きる人のブログであった。彼は自らの負う障害を受け入れ、目を逸らすことなく生き抜く姿をそこに記していた。
 私は戦慄した。そこに書かれている症状のほとんどが私の人生と重なっていたのである。そうしていつもの病院で自分の半生を語った。結果私は“大人の発達障害”であると診断された。即ち私が努めて贖わんとした事は、私の努力の大小に関わらず、天与の劣悪であったのである。それを私は叶わぬと知らず時間と労力を費やした。私は無駄な時を紡いだのである!
 現実への恐怖と、障害のもたらす衝動的な狂気から、私は職を辞した。同僚諸子への迷惑たるや言語に絶するであろう。
 私は今もなお自ら障害を、眼前に横たわる現実を受け入れることが出来ない。目を逸らさずには居られない。

 「ソンナコトナイヨ」と誰かに言ってもらいたい。私の実力を誰か称えてもらいたい。目を逸らしながら生きても良いと考えたい
 だが“大人の発達障害”を取り扱う書籍や啓蒙家らわ「それは個性です」と目を逸らすことを許してはくれない。受け入れて生きることを説く。私は未だ彼らと分かり合えない。現実は今も尚、私の眼前に聳えている。


 こういう考えをする度に、芥川龍之介の『歯車』の最期の一文が私の心に去来する。それは最早、まったくの異心を持たずに私の口を吐く。

『誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?』